2012年 茶道講座
【利休百首】
●その道に入らんと思ふ心こそ 我が見ながらの師匠なりけれ
●ならひつつ見てこそ習へ習はずに よしあしいふは愚かなりけり
●はぢをすて人に物とひ習ふべし 是ぞ上手の基なりける
●上手にはすきと器用と功績(う)むと この三つそろふ人ぞ能(よ)くしる
●点前には弱みをすててただ強く さえど風俗いやしきを去れ
●点前には強みばかりを思ふなよ 強気は弱く軽くは重かれ
●よそにては茶を汲みて後茶杓にて茶碗のふちを心してうて
●筒茶碗深き底よりふき上がり重ねて内へ手をやらぬもの
●その道に入らんと思ふ心こそ 我が見ながらの師匠なりけれ
何事でもその道に入りそれを学ぶには、まず志を立てねばならない。
自発的に習ってみようという気持ちがあれば、その人自身の心の中にもうすでに立派な師匠ができている。
茶道だけではなく、学問や他の道も同じです。
●ならひつつ見てこそ習へ習はずに よしあしいふは愚かなりけり
批判はできても、実際に自分でやってみるとなかなか難しいことです。
批評するなら、先ずその対象になるものに自ら入り込まねばならない。
自分が入り込まなければ、本当の批判はできない、口先だけの批評では人は納得しない。
●はぢをすて人に物とひ習ふべし 是ぞ上手の基なりける
昔の言葉に 「知らぬ事は知りたる人に問うを恥じず」 というのがあります。知らぬことは恥かしいと思わず、師匠や先輩に質問すればいいことです。
聞くことが、恥かしいと思うかもしれませんが、機会を逃がしてしまうと、知りたいことも、そのままになってしまいます。これは大きな損失です。その反対に一時の恥ずかしささえ忍べば、それが一生の得になります。
●上手にはすきと器用と功績(う)むと この三つそろふ人ぞ能(よ)くしる
何事でも、名人上手になるために必要な条件が三つあります。
1.好きであること
2.器用であること
3.鍛錬すること
昔から 「好きこそ物の上手なりけれ」という言葉があるように、人にすすめられたから、いやいや習うとか、義務的に学ぶとか言うようでは、いつまでたっても上手になれません。
器用不器用は、人各々の天性で、仕方がないようだが、これも慣れてくると、不器用な人は不器用なりに、器用な人に見られない味が出てくるものだから、決して失望することは無い。功を積むということは、芸道修業上、一番大切なことです。短気では、物事は上達しないのです。
●点前には弱みをすててただ強く さえど風俗いやしきを去れ
点前はやわらかく、しとやかにするものだと思われがちですが、なよなよと弱々しすぎるのはよくありません。
しかし、あまり力が入りすぎて、武張ったのも良いとはいえません。
緊張をとくために、まず気持ちを和らげることが必要です。
●点前には強みばかりを思ふなよ 強気は弱く軽くは重かれ
軽いものを持つときは、重いものを持つ気持ちで、重いものを扱うときは軽いものを扱う気持ちを忘れないようにします。軽い物を軽く持つから、麁相おきます。重いものを重たそうに持てば、武骨にみえてしまいます。
●よそにては茶を汲みて後茶杓にて茶碗のふちを心してうて
茶を茶碗に汲んで、茶杓についた残りの茶を払うために、茶碗の縁を強く打ってはいけません。
年代を経た茶碗には、粉つぎや漆で繕うてある茶碗がある。そのような茶碗に茶杓を強く打つと、粗忽(そこつ)が起きる場合があります。また、細い茶杓だと、強く打つと節のあたりから折れることもあります。
普段のお稽古から注意することで、お茶会などで、お点前を頼まれ、お借りしたお道具を使うときに無理なく気を使うことができます。
●筒茶碗深き底よりふき上がり重ねて内へ手をやらぬもの
筒茶碗を拭くときは、茶巾を人差し指と中指とで挟むようにして、まず底を拭き、その後に茶碗の縁にかけて、常のように3回半拭き、茶巾を茶碗からはなさず、下において、茶巾をはなしてからたたみ釜の蓋に置きます。
いつもの茶碗のような拭き方で、縁から先に拭くと、底を拭く時に指や手先が茶碗の内部に触れるからです。
● 参考文献
利休百首 井口海仙著 綾村坦園書 淡交社
雅庵裏千家茶道教室では、毎月茶道講座を実施しております。