東京杉並区の住宅地にあります茶道教室|雅庵教室

2013年 2月の茶道講座

 【利休百首】

●点前こそ薄茶にあえと聞くものを麁相(そそう)になせし人はあやまり

 

●濃茶には点前をすてて一筋に服の加減と息を漏らすな

 

 

【日本の喫茶】

729年聖武天皇に始まった春秋二季に東大寺・興福寺・比叡山延暦寺などの諸寺から百僧を請い3日から4日間にわたって国家の安穏を祈願させる「季御読経(きのみどきょう)」という儀式があります。

この間に僧侶に茶が供せられたのが「引茶(ひきちゃ)の儀」「行茶の儀」です。

  

【凌雲集(りょううんしゅう)】

嵯峨天皇が藤原冬嗣邸で作った漢詩「凌雲集」の一節に「詩を吟じ香茗(茶)を搗く(つく)を厭わず、興に乗じて宜しく雅弾を聴くべし」とあります。

 

【茶園と茶道具】

嵯峨天皇が、茶樹を畿内・近江・丹波・播磨など京都周辺諸国に命じ植えさせ献上させています。大内裏(平安京の宮城)の北東隅にも茶園が営まれていました。

●点前こそ薄茶にあえと聞くものを麁相(そそう)になせし人はあやまり

 濃茶だから、丁寧に点前をするというのは誤りです。

点前の巧拙(こうせつ:たくみなことと、つたないこと)は運びの平点前の薄茶で最もあらわれます。

基本である、薄茶の点前がしっかりできなければ、台子の点前はもちろん濃茶も点てられないはずです。

何事も基本が大切で、その基本を麁相にしては、上達はのぞまれないという教えです。

 

●濃茶には点前をすてて一筋に服の加減と息を漏らすな

濃茶は、服加減が第一です。

濃茶を服加減よく煉るには、湯加減と湯の量が第一です。

「点前をすてて」とは、加減よく濃茶を煉ることに専念して、点前の上手下手には重きをおくなということです。

濃茶を煉るときの心得は「息をもらすな」で呼吸を整えることが服加減のよい茶を練るときの心得です。濃茶では、茶入を清めるときに四方捌きをいたします。これも呼吸を整える一つです。

 

【日本の喫茶】

729年聖武天皇に始まった春秋二季に東大寺・興福寺・比叡山延暦寺などの諸寺から百僧を請い3日から4日間にわたって国家の安穏を祈願させる「季御読経(きのみどきょう)」という儀式があります。

この間に僧侶に茶が供せられたのが「引茶(ひきちゃ)の儀」「行茶の儀」です。

奈良時代にはすでに始められていた行事のようです。引茶は鎌倉時代までは行われていました。

 

【凌雲集(りょううんしゅう)】

嵯峨天皇が藤原冬嗣邸で作った漢詩「凌雲集」の一節に「詩を吟じ香茗(茶)を搗く(つく)を厭わず、興に乗じて宜しく雅弾を聴くべし」とあります。

天皇周辺の喫茶の様子です。ただ、香茗を搗くの語から抹茶ではなく「団子状に固められた茶葉を喫する陸羽式の茶法だったようです。 

 

【茶園と茶道具】

嵯峨天皇が、茶樹を畿内・近江・丹波・播磨など京都周辺諸国に命じ植えさせ献上させています。

大内裏(平安京の宮城)の北東隅にも茶園が営まれていました。

805年最澄が唐から持ち帰って植えたと伝えられる日本最古の日吉茶園は滋賀県大津市に残っています。

茶道具は、越州青磁や邢州(けいしゅう)白磁の喫茶用の茶碗だったと考えられています。

 

 

お茶を飲む習慣は中国からきました。

奈良時代に遣唐使や中国から来た僧たちによってもたらされたと考えられています。

 

最澄が日本へ茶を日本へもたらした後も、良質な茶を求めて中国から輸入されていました。

お茶は、貴族や僧侶の間で盛んに飲まれていましたが、894年遣唐使が廃止され、茶の輸入が止まり、いっとき茶を飲む習慣が衰えたと言われています。

 

● 参考文献

よくわかる茶道の歴史 谷端昭夫著 淡交社

利休百首 井口海仙著 綾村坦園書 淡交社

雅庵裏千家茶道教室では、毎月茶道講座を実施しております。