2013年 3月の茶道講座
【利休百首】
●濃茶には湯加減あつく服は尚ほ泡なきやうにかたまりもなく
●とにかくに服の加減を覚ゆるは濃茶たびたび点てて能(よ)く知れ
【抹茶と禅】
平安時代、茶は中国文化を想起させる飲料として帰属・僧侶などにもてはやされていました。
平安時代末、1191年栄西は2度の入宗を終えて、臨済禅と新たな点茶法をたずさえて肥前平戸に帰ります。
●濃茶には湯加減あつく服は尚ほ泡なきやうにかたまりもなく
濃茶は、湯加減が大切です。
四季の寒い暑いに従い、時に応じて処置するのが、真の茶人、点前上手と言われています。
湯加減は、炉の時期の茶事を例に取ると、初入りですぐに炭手前があり、懐石が終わるころには、釜の湯が煮え音をたてます。
その後、中立ちがあり、後入りで濃茶を煉る頃には、煮え音が一応おさまります。この湯加減がいいとされています。
ぬるいより熱いほうがいいでしょう。
湯の量は、一度目に入れる湯の分量が少ないと煉っているうちにかたまりができます。よほど少ない時は、お茶が茶筅の中で団子状態になってしまうこともある。湯の量は大切です。
二度目のお湯は煉ったお茶を適当に薄めます。
このときに、白い泡があるうちは煉られた茶と湯がよくとけ合っていません。
●とにかくに服の加減を覚ゆるは濃茶たびたび点てて能(よ)く知れ
濃茶を加減よく煉るには、何度もお稽古が必要です。
ある年、淡々斎が正月1ヶ月間に煉った茶の量を計ってみると、約1貫目(約4㎏)ありました。しかし、淡々斎は1ヶ月の間に本当にうまく煉れたと思ったのは、2・3度しかないとおっしゃっていたそうです。
その時の湯加減にも関係しますが、それほどお稽古をしなければならないのです。
濃茶のお抹茶は1人分3.75gです。
【抹茶と禅】
平安時代、茶は中国文化を想起させる飲料として帰属・僧侶などにもてはやされていました。
平安時代末、1191年栄西は2度の入宗を終えて、臨済禅と新たな点茶法をたずさえて肥前平戸に帰ります。
平戸には栄西の開創と伝える千光寺と茶園「富春園(ふしゅんえん)が現存していますが、千光寺の前身富春院は、藤原清貫が栄西に帰依して開かれた寺院で、日本最初の禅院とも言うべき寺院です。
栄西が中国から持ち帰った茶の苗を持ち帰りました。栄西は京都栂尾の明恵上人に茶種を差しあげたと伝えられています。
栂尾では上質な茶が採れるようになり、栂尾で採れる茶を「本茶」といい、その他で採れる茶を「非茶」と区別されて扱われるようになりました。
栄西が抹茶法を請来し、鎌倉幕府3代将軍源実朝に茶を一盞(いつさん)を捧げた。
実朝は茶を健康回復のための薬として常用しました。
喫茶の風習は上流階級、特に禅僧との交流があった武士に流行していきます。
鎌倉時代に入り、新たに移入された抹茶法は、栄西が実朝に茶を献じた折に添えて進めた「喫茶養生記」にあるように、主に薬用として意識されていました。
栄西による茶法は平安時代の喫茶とはことなり、禅に裏打ちされたものです。同時期の中国禅林では、生活規範「禅苑清規」の内に茶礼がみられるからです。
● 参考文献
よくわかる茶道の歴史 谷端昭夫著 淡交社
利休百首 井口海仙著 綾村坦園書 淡交社
雅庵裏千家茶道教室では、毎月茶道講座を実施しております。