東京杉並区の住宅地にあります茶道教室|雅庵教室

2013年 8月の茶道講座

 【利休百首】

柄杓にて湯をくむ時の習いには三つの心得あるものぞかし

 

湯を汲みて茶碗に入るる其時の柄杓のねぢは肱よりぞする

 

武野紹鴎

 ●柄杓にて湯をくむ時の習いには三つの心得あるものぞかし

3つの心得とは次になります。

①湯や水を組むときは、十分に汲まずにする

②湯は底を汲み、水は中央を汲む。湯は熱くなると膨張し、軽くなって上へ上がるから、湯の中野垢などが共に上にあがってくる。したがって、底の湯が清浄だということになる。

水では、重い垢は下に沈み、軽い垢は上に浮いている。したがって水は中央を汲みます

③釜の口、水指の口、茶碗の上からあまり上がり過ぎないように注意することです

 

●湯を汲みて茶碗に入るる其時の柄杓のねぢは肱よりぞする

湯を汲んで茶碗に入れるときに、柄杓を持っている手は、肱から動かします。

肱を動かさずに手首だけねじって湯を入れと見た目も美しくなく、湯を茶碗の外へこぼして濡らすこともあります。柄杓の合が安定しないからです。

湯を汲み、肱を脇の下にしっかりつけて、それを徐々に離していくと、柄杓の合が自然に傾き、合が安定して湯をこぼすことがありません。

 

【武野紹鷗】

1502年~1555年。童名:松菊丸。通称:新五郎。名乗:仲材。号:一閑・大黒庵・紹鷗

30歳まで連歌師になるため、京都で公家の三条西実隆について和歌を学びました。

茶道は十四屋宗伍・十四屋宗陳に学んだといわれています。

紹鷗は新たな茶道具を創出し、袋棚・釣瓶水指・竹蓋置などが代表です。

 

紹鷗の茶道具「紹鷗茄子(みをつくし茄子)」

 

床の掛物は、唐物の墨蹟や絵画が中心でしたが、紹鷗ははじめて藤原定家の色紙をかけた人です。「天の原ふりさけみれば春日なる三笠の山に出でし月かも」(大空をはるかに仰ぎ見れば、月が出ている。昔、春日の三笠山から昇るのを眺めた―あの月と、同じ月なのだなあ。)下絵には月が描かれていたそうです。

紹鷗が三条西実隆に和歌を学んだ影響とされています。

● 参考文献

よくわかる茶道の歴史 谷端昭夫著 淡交社

利休百首 井口海仙著 綾村坦園書 淡交社

 

雅庵裏千家茶道教室では、毎月茶道講座を実施しております。