2013年 1月の茶道講座
【利休百首】
●何にても道具扱ふたびごとに取る手は軽く置く手重かれ
●何にても置き付けかへる手離れは恋しき人にわかるるとしれ
【立礼の普及】
明治新政府の欧化思想は、欧米に追いつこうという富国強兵策をとり、日本の文化をすべて捨て去って、茶の湯を始めとする伝統文化にとって、厳しい時代でした。
裏千家11代玄々斎精中は、明治5年春に京都博覧会が開催されるに際して、いずれ国際交流が盛んになり、外国の方がたくさん来られたときに、椅子テーブルで創意工夫したお茶を差し上げたらどうだろうということで、先見の明を考案中であった立礼式を明治4年5月に発表されました。
●何にても道具扱ふたびごとに取る手は軽く置く手重かれ
お点前には、運び点前と棚もの点前とがあります。
運び点前は、水指・茶碗・棗などを、点前に掛かる前に運び出し、定座へ置きます。
水指を運び出す場合に、水が入っているので持ち上げるときに重いです。しかし、力を入れて持つと、お客様の目からは、いかにも重く見えてしまいます。
お客様にそのように感じさせないように、軽く持ち上げるようにします。
一方、軽い棗や茶碗などを持ち上げるときは、少し重々しく持つようにします。
道具を置いて、手を離すときは、手をすぐに引くのではなく、ゆっくりと話す「置く手重かれ」はその意味です。
●何にても置き付けかへる手離れは恋しき人にわかるるとしれ
前の歌で「置く手重かれ」と教えています。
さらにこの道歌では「手離れは恋しき人にわかるると知れ」といっています。
水指などを取り上げるときには、余剰を持たすと、道具はしっかり定座に据わり無限の味が生じます。
武芸に「残心」という言葉があります。
茶の湯の点前にも、この残心の心構えが必要です。
道具の扱いでは、水指を据えた手を緩めながらも注意を払います。
茶碗、棗なども同様です。
さらに、お茶事が終わり、お客様を送り出して、釜の前に座り、一人茶を点てながら、今日の茶事について反省します。
これが茶人の心得と教えられています。
これも恋しき人に別れる気持ちであり、残心でもあります。
【立礼の普及】
明治新政府の欧化思想は、欧米に追いつこうという富国強兵策をとり、日本の文化をすべて捨て去って、茶の湯を始めとする伝統文化にとって、厳しい時代でした。
裏千家11代玄々斎精中は、明治5年春に京都博覧会が開催されるに際して、いずれ国際交流が盛んになり、外国の方がたくさん来られたときに、椅子テーブルで創意工夫したお茶を差し上げたらどうだろうということで、先見の明を考案中であった立礼式を明治4年5月に発表されました。
京都博覧会は、西本願寺・建仁寺・知恩院を会場として80日間開催され、特別に外国人の入京を許可し、800人近い外国人が入場しました。
点茶盤以外の立礼:御園棚(14代淡淡斎宗匠好み) 春秋棚・知新棚(15代鵬雲斎大宗匠好み) 和親棚(坐忘斎お家元)があります。
点茶盤は組み立て式の竹の4本柱で、杉生地の山道になった腰板がめぐり、中棚に杉木地の板がはめ込まれています。
点前は、台子の濃茶・薄茶に準じる格式のものです。
点茶盤の中棚には炭斗を荘ることができ、お茶事を行うことができます。
つまり茶事に始まり茶事に終わるというお茶の精神にかなった茶法が立礼式です。
立礼式はあくまで式正の格調の高い茶法で、玄々斎は伝統の中に新しい試みをされたのです。
発表された当時は賛否あったようです。玄々斎の立礼式を物事の始まりとして、各流儀においても椅子点の茶葉が考案されるようになりました。
● 参考文献
立礼の点前と茶事 千宗室 淡交社
利休百首 井口海仙著 綾村坦園書 淡交社
雅庵裏千家茶道教室では、毎月茶道講座を実施しております。